夏休みを振り返る’25

 お疲れ様、全国の私。約40日間の試練を乗り切った私に乾杯。秋味、最高。

 誰もいない部屋、猫のあくびしか聞こえない時間、何にも邪魔されない思考、思い描いたように捗る作業。

 

なんて素晴らしいの!!!

ビールで乾杯している様子

記憶はなくすもの

 

 学研の夏休みドリルやり残してる気がするし、やりたかったDIYは構想のままだし、メルカリに出そうと思ったまま何も手をつけてないし、最後の方はグダグダした気がするけど、あんまり酒に逃げなかったし発狂しなかったし、良しとしよう!

 

 夏休みが始まって、なんとなく起きたら宿題しよう、だときっと確実に絶対にやらないので、学校と同じスケジュールでチャイムがなるようにアラームを設定し、午前中の4時間は宿題するよと、宣言した。代わりに午後は、好きにしてよし。これはよかった。宣言してしまったが故に、私もグダグダ寝てられないし、チャイムが鳴ることで子どももどっちかが、なったで〜といい合うことで、モードの切り替えができてテーブルの前に座ってくれた。もちろん、オレが言いたかったのに!とか、私が先に言った!とか訳のわからないケンカもセットで。

 

 自分が子どもの頃は夏休みの宿題めっちゃ多いわ!と思っていたのだが、子どもの宿題は2週間もかからずに終わってしまいそうなくらい少なく感じた。質にこだわらなくていいなら1週間で終わりそう。こんなもんやったんやろか。夏休み明けの漢字テストで勝つべく、B4サイズの漢字プリントをわざわざコンビニでコピーし、毎週漢字テストの日を設け、間違えたら漢字ノートに書いてお直しさせた。学研の夏休みドリルで、苦手なところを洗い出し復習した。多分、ここまでしなくてもいいと自分でも思う。高偏差値の高校や大学へ行ってほしいから、ではない。うちにそんな優秀な頭脳が生まれてくるはずがない。私がいちばんよく知っている。子どもにはちょっと悪いがこれは私自身のためにやったことだ。

 

 時間だよ〜、宿題しな〜。と言って、するわけがない。座ったからといって静かに淡々とこなすわけがない。自分で丸つけして、間違いを確認し、どこで間違えたのかを考え、やり直す、なんてことを自分でするはずがない。うちから出来杉くんが生まれるわけがないのだ。

 

 とりあえず、問題解いて丸つけしてれば提出はできる。それに一体なんの意味があるんだろう。そんな程度のものなら初めからしなくていい、と思っている。それのどこが楽しいのだ。右から左へものを動かすだけの仕事の何が楽しいのだ。将来そういう仕事について人生が勝手に楽しくなると思っているのかと。仕事だから、好きなことだけをしてお金を稼ぐということが難しいことはもちろんわかってる。就きたい仕事に就けるとも限らない。けど、そんな中でもどうすれば自分は楽しめるのか、どうすればやりたい仕事に近づけるか、今自分に何ができるのか、といった課題や問題を自分で掘り出し、模索し解決する能力を義務教育期間中に培っていけばいいと考えている。そういう思いもあって、時間を設定し、宿題や課題をさせ、わからないところは解説し、復習の仕方を提示し、宿題の提出期限に間に合うように動いた。でないと、横で丸つけだけしている私が暇すぎてストレスがすぐに臨界点突破し噴火したからだ。

 

 とても不器用な性格なので、他の作業しながら付き添うという高度な技ができないのだ。私が席を外すとすぐに喋り出す、別部屋にすると見えない方がサボって手が止まる。結果、そばにいるのがいちばん最短で終わらせることができる。しかし、そばにいながら仕事など作業をしてしまうとこれまた危険だ。なんせ話しかけられるのがストレスになってしまう。作業の邪魔をされたくないのだ。となるとこれも難しい。結果、子どもの宿題に全力で向き合うのがいちばんストレスが少ないという結論に至ったのだ。なんてめんどくさい性格なんでしょう。

 

 学力のことを考えれば、どこぞの塾へ放り込んだ方が確実だ。教えるプロなのだから。母親は最低の家庭教師という言葉がこの世に生まれるくらいには向いていないと思う。子どもそれぞれの特性や好みを把握した上で、それぞれの習い事や進路を選ぶサポートができるように現状確認していないと関心が薄れてしまいそうで不安なのだ。そのために、外ではなく在宅での仕事を選んでいる。家庭という港に錨を下ろしていないとどこかへ冒険しに行ってしまいそうな人間だから。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です