まるえのふんふん帳

子育てとカメラと時々キャンプ

個人面談

 先日、こどもの個人面談があった。その際、娘も息子もムードメーカーと言われた。はて、ムードメーカーとは

 

ムード‐メーカー

《(和)moodmakerその場雰囲気盛り上げる人。

出典:Weblio辞書

 

というものらしい。確かに、うちではふたり揃っていると毎日パーティ開いてんのかってくらいうるさい賑やかだ。トイレに行っても歌ってるし、ごはんどきでもヤイヤイケンカしてるし、遊ぶときに無音になったことなんてほぼない。無音でいるとどうにかなってしまうのだろうか?君らは止まると死んでしまう回遊魚か!無音だと息がつまるのか!?と、適当な音楽かけてたって関係ない。自分で音を出したいのだ。生まれながらのサウンドクリエイターなのだ(白目)。楽器なんて与えた日には、毎日バンドフェスだよ(悪寒)…

 ただ、悪さをしている時だけは静まり返る。空気さえ空気よんで凍りつく。コップを倒してしまってのみものをタオルで拭いているときや、もみ合っているうちに壊してしまったおもちゃを必死で直そうとしているときや。なんてわかりやすいんだ。不穏な空気がダダ漏れですよ。『やっちまったぁ』という顔が面白くて、なにを弁解してきても怒る気にならない。これも大事な処世術だろう(?)。

 ともに、発達検査では一年位遅れてるねーと言われている割には、よくがんばっていると思う。食べ物の好き嫌いも言わないし(こっちから聞かないし)、学校や幼稚園に行きなくないと言ったこともない。おそらく、そういう発想すらないんだと思う(教えたら意味なくやりたがるだろうし)。場所見知りなるものが存在するらしいが、彼らにはそれもない。つまり、警戒心がないのだ。それはそれで問題だけど。きっと、家や外関係なく、その場を楽しめる才能でも授かっているのだろう。羨ましい。これに遺伝性があるのなら、間違いなく夫のものだ。

 娘も息子も、『どこでもやっていけるよ』と言われたことがある。私は、夫にも同じことを感じている。娘の担任は、『生きる力がある』とめちゃ良いように言ってくれた。

 

それ、なに?

 

いいことっぽいし、素質なら大事に育てていきたいけど、それなに!!!????私の中に見当たらないものだから、実態が掴めない。ズボラな私が、気づかずに踏んづけてしまわないか心配だ。

 

2周目の宿題

 皆、菩薩な顔して聞いているのだろうか。私はどうしても般若になってしまう。

 

 娘の算数の宿題で、足し算の暗唱がある。暗唱といっても、1112…と式は書いてあり、答えを暗算で答えるのものだ。私にとって、これがなかなかの拷問、もとい苦行なのだ。なにせ遅い。まぁ遅い。とくかく遅い。足して5辺りまでの足し算はそこそこすんなりできるのだが、片手で表せない6以降の計算が鬼のように遅い。答えがわかってる自分目線からすれば何がわからないのかわからない。待っている時間はただ自分のイライラと闘っている時間だ。辛い。こっちは待っているのに、娘の気が散って遊び出すと発狂しそうになる。

 これはいけない。お互いただ辛いだけだ。面白くない。なので、彼女がどの辺で躓いているか探ってみた。といっても、私は教えるプロでもそんな経験もない。手探りも手探りだ。

 頭の中を直接見ることはできないので、紙に書き出してもらった。すると、学校で習ったのか、◯を書いて、数えていた。21なら、◯◯|◯と書いて、◯を123と数え、答えは3と答えるという具合。足し算の概念は概ね理解しているようだ。それに、実際に、えんぴつを持たせて解かせると大きい数字もそこそこすんなり答えが出てくる。このことから、数字のイメージの記憶がまだ弱く、思い出しながら計算するから鬼のように計算が遅いorできないということなのかもしれないという推測ができる(素人判断)。

 本来は、暗唱する宿題なのだが仕方ない。彼女にはまだ少し、高めのステップだったようだ。書いてスラスラ解けるようになってから暗唱できるようになればいい。というわけで、お手製足し算シートで只今絶賛訓練中だ。

 

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長い空欄は◯を書き込むスペース



 娘は主に言葉の遅れで発達障害と言われていて、34年生辺りから勉強についていけなくなる可能性があると何度か言われた。発達障害に詳しい人たちの言うことなんだから、きっとそうなる可能性が高いのだろう。その時に普通学級のまま通うか、一部授業だけ支援学級に行くか存分に悩みたいと思うが、正直最低限の知識(読み書き、計算)がついたなら、苦手なことにはそんなに注力しなくていいと私は考えている。そんなことより同じ地域に住み、同じ年代の子と、同じ時期に同じことをするという経験が大事だと考えている。夫には夫の考えもあるだろうし、なにより娘がどうしたいかはゆっくり聞き出しながら進路を決めていきたい。

プレゼントはまた今度

 遠足は、準備している時がいちばん楽しいのと同じように、祭りは構想段階がいちばん面白かった気がする。

 

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 先日の父の日に、おうちまつりを開催した。こどもと一緒に材料を買いに行き、飾りつけやのれんなどを作成したり、お父さんへのプレゼントを作ってもらったり。店員さん役やったり、くじ引きしたり、あっという間に終わってしまった。本物のお祭りにはしばらく行けなさそうだけれど、こどもたちもそこそこ楽しんでくれてたと思う。

 最後に、こどもたちから父の日プレゼントとして、似顔絵や定番の肩たたき券贈呈などを行い終演。はしゃいだせいか即就寝で助かった。家だと寝てしまったこどもを連れて帰るという肉体労働がないからいいね!そのまま布団へポーンや。私からは、これといったモノは用意しなかった。それもこれもとある芸人さんの炎上発言を聞いてたからだ。

 

 その方が言うには、俺が稼いだ金で、家族で使うお金からプレゼント貰っても、それ俺のお金やん?というもの。まぁ、聞く人が聞けば、炎上しそうだよね。いま私は自分自身で稼いでいない。夫の稼ぎで生活している。『家庭』を運営する上での分業と考えた時に、専業主婦に自由にできるお金、所謂お小遣いがあるのか否か、要るのか否かで話は変わってきそうだ。仮に、私が何かしらのモノをプレゼントするにしても、目玉が飛び出るほどのものは買わないし、夫もその場ではありがとうと言って受け取ってくれるだろうと思う。プレイステーションで使えるギフトカードとか、よっちゃんイカの詰め合わせとかそういうのを喜んでくれる。かわいいなぁ。しかし私は、プレゼントするならいつか自分で稼げた時にあげたいなぁと思う。僅かながらも社会復帰出来た気がするし、逆の立場なら同じようなこと思ってしまうかもしれないから。思いついたって口に出したりはしないけど。

 

 家事育児その他突発性不定期イベントの対処や家族の体調管理に宿題の付き添いなど、ひとつひとつはそんなに大変でもないし、怒られない評価もされない褒められないお礼も言われない給料もない、そんなちりも積もれば山となるよくばりセットを日々こなしているんだから、卑屈になる必要はない。昭和のサラリーマン家庭育ちが、令和のジェンダーレスが叫ばれる時代において、『家庭』に対する固定観念と現実とのギャップでもがいている。本当の平等ってなんだろう。きっといつの時代も大変だったとは思うけど、生活様式アイデンティティに関わる価値観が変わりつつある次期なんだろうなとは感じる。

 あんまりこんなことかいてると、「あなたも賛同してくださるんですね!」と目をギラギラさせて、人の話を聞かない、多様性を求めながら排他的な宇宙人に見つかりそうなので、退散しておこう。くわばらくわばら。