まるえのふんふん帳

子育てとカメラと時々キャンプ

夏の怖い話


 最近、テレビで心霊番組ってやらなくなりましたね。なんででしょうね。こどもの頃は世にも奇妙な物語でさえ怖くて見れなかったけど、今の感性ならどう感じるのか観てみたい。ギボさんとか織田無道さんとかどうされてるんでしょうね。

 先日、母を家によんだ。娘の制作活動に協力してもらう為だ。久しぶりのばあちゃんと遊べて興奮気味のこどもらを落ち着かせつつ、昼呑みしていた時、母が話し始めた。

 母も父も毎晩晩酌していた。夕飯始まって私たちこどもが寝るまでずーっと呑んでいた。くだを巻いたり、テンションハイになったり、粗相してグラス倒したりなんてのはよくあった。ずっとそういうものだと思ってた。

「最近な、お酒呑める量が減ってきてん。」

そらそうだ。そうであってくれ。若くても、呑んで歩いて帰っている時に、何もないところでこけて顔に怪我しちゃうような人なんだから飲む量を減らして悪いことはない。

「ほんでな、時々記憶飛ぶねん。」

ん?

「起きたら覚えてないねん。」

あかんやん。若い頃に加減がわからなくて飲みすぎちゃって、とかいうならいざ知らずいい大人が記憶飛ぶほど呑んだらあかんやん。

「朝起きたらな、お父さんが寝室の扉少しだけ開けて、もう落ち着きましたか?っていうねん。」

………なによ……

「私、お父さんのこと蹴っててんて。」

………

「まったく覚えてないねん。」

 

ほんまにあかんやつやん!母には散々怒られたけど、蹴られたことは一度もない。蹴ってるところも見たことがない。最近は歳とって丸くなってきたから忘れていたけれど、元々母は岸和田出身で思春期はヤンキー全盛期時代だったのだ。母曰く、ヤンキーは金持ちのボンボンがやるもんやった、とはいうものの、日常生活のイメージはじゃりんこちえの世界観だ。普通の会話がなんか恐い。言葉の平均パンチ力高めなやりとりが多いのだ。わるくいうつもりはない。ただの方言のひとつだ。戦闘力高めの方言だというだけだ。そんな言葉のパンチもおそらく出ていたであろう状況で父はさぞかし恐怖しただろうと思うと胸が痛い。なにせ蹴った本人は全く覚えていないのだから。

 母は現在認定介護調査員をしているので、いろんなお宅に伺っていろんな介護症状を聞き取りしている。酒飲みがどうなるかはおおむね知っている。自分もこのまま飲み続ければ、いずれどうなるかはだいたい予想できる。そこへこの記憶の欠落だ。やっと、酒量を抑える気になったらしい。

 

遅!!!

けど、死ぬまでは元気で健康な状態でいた方が楽しいのは確実だから、早め(?)に気付けてよかったね、といいながら3本(500ml)呑んで母は帰っていった。そんな母の血が半分自分に入ってると思うとざわざわが止まらない。

 

あこがれの“適当”

 ずっと息抜きが苦手だった。何をすれば息抜きになるのかをわかっていなかったせいだ。溜め込んで溜め込んでどうしようもなくなって突然仕事を休んだり、一日家にいたのに何一つ家事をしてなかったり、やけ食いしてしまったこともあった。それが最近、ようやくこれかもしれないというものを見つけた。全ての人の役には立たないかもしれないが、私と似たタイプのだれかの参考になればと思う。

 

1人になる

 無音の家で目を閉じる。ネカフェや図書館だと背後が気になって安心して目を閉じれないのだ。前世は侍かもしれない。嘘だ。気が小さいのだ。さらに、耳栓もしてただ目を閉じる。お口にチョコレートが紛れ込んでいると尚ご機嫌。

思い浮かんでくるものに意識を向けたり見過ごしたりする。メモがいるなら目の前のiPadさんに叩き込む。また目を閉じる。気になったらGoogle先生に聞く。目を閉じる。私はこれを脳内キャッシュのクリアとよんでいる。

・出す

 あまり、大声を出すのは好きではない。カラオケ行って発散!もイマイチピンとこない。代わりに、こういう形で出している。ブログだ。日記やチラシの裏にでも書くとスッキリするよ!というのは、今まで色んなところで読んだり聞いたりしたが、その後それどないするねん。なんとなく隠してた感でるし、見られてもええのに、見た人がなんとなく罪悪感抱えてまうやん。紙に残して、後世に「昭和生まれのおばあの雑記」としてみられるのも同年代に申し訳ない。あぁ、ブログでええやん。最初からオープンやし、実家の押し入れ開けても見つからへんし、ゴミも増えない。素敵。

・捨てる

 一時期、断捨離がもてはやされて、家にほぼ何にもない人がテレビなんかに映っていたが、あそこまではさすがに出来ない。しかし、まだ使えるからと言って渋っていたものは結構ある。全部いっぺんにやると心がポッキーなので、今月は衣類、とか今月は台所、とざっくり目標を立てて生活する。意識していると全然使ってないエリアやモノが見えてくる。そしてゴミの日にザザーと捨てる。それはもう思いきり。使えるものなら売れるよね?え?売れない?じゃあ捨てましょう。だって使ってないんだもの。と言って捨てる。罪悪感も一緒に捨てる。だって、ちゃんと分別してるんだもの。悪いことしてないんだもの。みつをなんだもの。

・写真

 写真が好きだ。撮るのも編集するのも好きだ(上手とは言ってない)。おでかけ先で非日常な写真撮るのも良い。その瞬間は写真のことだけ考えている。脳内麻薬の生産を開始する音がする。日常のこどもや猫の写真も良い。切り取って加工して夫に送りつけるのも楽しい。たまに音つけておしゃれフォトアルバム風動画を作ったりもする。出来上がった時は感動だね。脳内麻薬ドバドバだよね。じぃじやばぁばに送りつけるよね。気付いたら夕方だからね。夕飯は手抜きになるけどね。

・お文具さんを眺める

 それはもうご身体のように頭をまっしろにして空っぽにしてただ委ねる。理屈はわからないけど癒される。お文具さんがiPadにぶら下がって私を見つめるグッズがあればいいのに。めちゃ捗るのに。なもさん動画で何リットル心の汗をかいたことか…

引用元:youtube お文具のアニメより

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・お酒

 昔は、ひとりで呑んでなにが楽しいねんと思っていたし、呑みかたや加減もわかっていなかった。しかし、今、酔った状態でお笑い番組を観るのが楽しい。緩んだ前頭葉のおかげで漫才やコントの面白さが2倍増しで楽しめる。録画機能万歳。映画を観るのもいいのだが、トイレから戻った時に、なんでこいつこんなに血塗れやねん!?となってしまうことが多々あるので、飲酒時はあまり観ない。

・おしゃべり

 ぐちを言うのも聞くのも得意ではないので段々人とお話しするのが嫌になって遠ざけていたのだが、最近ダンスを始めて、ママ友がいっぱいできてお話する機会が増えてきた。みんなめちゃ面白いのだ。ダテにだべってきてないねってくらい喋る。ちゃんとオチもある。キレッキレのツッコミも飛び交う。なんて恐ろしいおしゃべりスキルなんだ。こどもやダンスなど共通の話題があって取っ掛かりやすいというのもあるし、ダンスしようって集まってきた人たちだから考え方や行動も似通っててより話やすいんだと分析している(迷推理)。

 

 私は無駄に完璧主義的で、余裕が無くなってくるとより顕著になる。そうなると手がつけられないので、事前に定期的にガス抜きをしなくてはならない。こまめにメンテナンス必須なわりにぎりぎりまでアラートが鳴らないのだ。まったく世話が焼ける。育児が下手と医者直々に太鼓判を押された私は、きっと生きるのも下手だろう。けど、下手なりに、もがけばたまにワラとか笑いとか掴めたりもする。適当にいきている人を真似て、適当上手に私はなりたい。

母はキレのいいツッコミ待ち

 一年間、幼稚園での様子を撮影しDVD化してくれるサービスがある。娘息子、それぞれの年少の頃のを見比べるとやはり明確に違いがわかる。入学入園前、一緒に発達検査をした際、娘はおよそ一年半遅れ、息子は一年弱の遅れが見られます、と言われた。それでも息子に関してはほかの園児と同じように園の作業やイベントに参加しているようにみえるが、娘の場合は、目の前に見えるもの・ひとで行動を決めているように見えた。やはり、言葉を理解できていない状態ではそうならざるを得ないのだろう。

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tolmachoによるPixabayからの画像

 娘とは今(小2)も雑談が成立しない。以前にくらべれば、こちらの質問に対する答えはかみ合うようになってきた。好きな色はなに?や好きなくだものはなに?にちゃんと色やくだものカテゴリ内で答えるようになったのだ。入学当初にはできなかったんだからちゃんと成長している。よく頑張ってる。しかし、会話のキャッチボールが難しい。雑談は、もしかしたらとても難易度が高いことなのかもしれないと思うようになってきた。

 

 会話の受け手のターンになった場合、彼女は「うん」で終わってしまう。共感姿勢を全く示さない。「そうだんだ」「おもしろいね」「すごいね」「わたしも」は出ない。おそらく、今の彼女なら教えれば覚えるし、使うようにはなるだろう。しかし、これは教えることなのだろうかと迷う。彼女と話していて違和感を感じるのはここだ。今現在、発達の遅れがどれくらいあるかは不明だが、知性や精神年齢、知識のレベルがバラバラなんだと思う。そして、他人にそんなに興味ないタイプなんだと思う。自覚してるかはわからないが、苦手な会話で積極的にコミュニケーションを取ろうとも思ってなさそうだし、それゆえに会話スキルを上げたいとも思ってなさそうなのだ。そんな子に、会話のキャッチボールのためのツールを与えたところで、逆に苦手意識を植え付けそうで躊躇している。

 

娘「今日ね、ピアニカの時間にね、〇〇ちゃんがうしろからツンツンしてきたの。」

私「うん」

娘「それで、私はやめてって言ったのに、またツンツンしたの。」

私「そっかぁ、いややってんね。」

娘「うん、次またされたら先生に言いつけてやるの」

私「あ、うん、そうだね、しつこかったら言った方がいいかもね。」

娘「うん」

。(甘皮いじいじ)

。(終わり?)

 

 もしかして、私の会話スキルが低いのではないかと自信がなくなってくる。こどもの話は、遮らない、否定しない、共感するを意識しているのだが、いつもこんな感じになってしまう。グチなので盛り上がるものでもないし、笑いが起こるテーマでもないが、会話に展開が生まれることがない。まるでモテないやつの会話を再現しているような気分だ。もしかしたら私自身、無意識に会話には必ずオチがなければいけないと刷り込まれているのかもしれない。教室で一体どんな会話しているのか聞いてみたい。

 

 言葉の遅れには音読がいいよ、と小耳に挟んだ。だが、宿題以外でいきなり音読してごらんなさいはハードルが高いし、目標も設定しにくい。それになんとなく楽しそうじゃない。そこでとりあえず、読書の日を作ってみた。毎週この曜日は、夕食後寝るまでの時間、本を読むこととする。それと同時に毎週この曜日はゲームをしていいと設定して、カレンダーを貼り出した。決められたルールに忠実な彼女はそのルールを守ってくれている。読むのは字の少ない絵本や漫画だが、今までなかった習慣なので、本の形をしていればなんでも良しとしている。おかげで親の方もダラダラしていたのが、とりあえず買ったきり気が済んで読んでなかった本を引っ張り出して読むようになった。いいことだ。

 漫画の影響で「〜ですわよ」「〜ですの」とお上品な言葉を使うようになった。読書の日制定の効果はあるようだ。ちなみに読んでいる漫画は、女子大生が悪魔召喚した半身蛇半身人間の悪魔と共同生活するというものだ。まれにドロップキックなどのプロレス技が描かれていて知見が広がる。この夏の推薦図書には惜しくも漏れてしまったようだ。スプラッターなシーンも若干あるが、鬼滅の刃ほどではないのでご安心を。おかげで娘は敬語を使えるようになったので大変おすすめである。