まるえのふんふん帳

子育てとカメラと時々キャンプ

プレゼントはまた今度

 遠足は、準備している時がいちばん楽しいのと同じように、祭りは構想段階がいちばん面白かった気がする。

 

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 先日の父の日に、おうちまつりを開催した。こどもと一緒に材料を買いに行き、飾りつけやのれんなどを作成したり、お父さんへのプレゼントを作ってもらったり。店員さん役やったり、くじ引きしたり、あっという間に終わってしまった。本物のお祭りにはしばらく行けなさそうだけれど、こどもたちもそこそこ楽しんでくれてたと思う。

 最後に、こどもたちから父の日プレゼントとして、似顔絵や定番の肩たたき券贈呈などを行い終演。はしゃいだせいか即就寝で助かった。家だと寝てしまったこどもを連れて帰るという肉体労働がないからいいね!そのまま布団へポーンや。私からは、これといったモノは用意しなかった。それもこれもとある芸人さんの炎上発言を聞いてたからだ。

 

 その方が言うには、俺が稼いだ金で、家族で使うお金からプレゼント貰っても、それ俺のお金やん?というもの。まぁ、聞く人が聞けば、炎上しそうだよね。いま私は自分自身で稼いでいない。夫の稼ぎで生活している。『家庭』を運営する上での分業と考えた時に、専業主婦に自由にできるお金、所謂お小遣いがあるのか否か、要るのか否かで話は変わってきそうだ。仮に、私が何かしらのモノをプレゼントするにしても、目玉が飛び出るほどのものは買わないし、夫もその場ではありがとうと言って受け取ってくれるだろうと思う。プレイステーションで使えるギフトカードとか、よっちゃんイカの詰め合わせとかそういうのを喜んでくれる。かわいいなぁ。しかし私は、プレゼントするならいつか自分で稼げた時にあげたいなぁと思う。僅かながらも社会復帰出来た気がするし、逆の立場なら同じようなこと思ってしまうかもしれないから。思いついたって口に出したりはしないけど。

 

 家事育児その他突発性不定期イベントの対処や家族の体調管理に宿題の付き添いなど、ひとつひとつはそんなに大変でもないし、怒られない評価もされない褒められないお礼も言われない給料もない、そんなちりも積もれば山となるよくばりセットを日々こなしているんだから、卑屈になる必要はない。昭和のサラリーマン家庭育ちが、令和のジェンダーレスが叫ばれる時代において、『家庭』に対する固定観念と現実とのギャップでもがいている。本当の平等ってなんだろう。きっといつの時代も大変だったとは思うけど、生活様式アイデンティティに関わる価値観が変わりつつある次期なんだろうなとは感じる。

 あんまりこんなことかいてると、「あなたも賛同してくださるんですね!」と目をギラギラさせて、人の話を聞かない、多様性を求めながら排他的な宇宙人に見つかりそうなので、退散しておこう。くわばらくわばら。