まるえのふんふん帳

子育てとカメラと時々キャンプ

母はキレのいいツッコミ待ち

 一年間、幼稚園での様子を撮影しDVD化してくれるサービスがある。娘息子、それぞれの年少の頃のを見比べるとやはり明確に違いがわかる。入学入園前、一緒に発達検査をした際、娘はおよそ一年半遅れ、息子は一年弱の遅れが見られます、と言われた。それでも息子に関してはほかの園児と同じように園の作業やイベントに参加しているようにみえるが、娘の場合は、目の前に見えるもの・ひとで行動を決めているように見えた。やはり、言葉を理解できていない状態ではそうならざるを得ないのだろう。

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tolmachoによるPixabayからの画像

 娘とは今(小2)も雑談が成立しない。以前にくらべれば、こちらの質問に対する答えはかみ合うようになってきた。好きな色はなに?や好きなくだものはなに?にちゃんと色やくだものカテゴリ内で答えるようになったのだ。入学当初にはできなかったんだからちゃんと成長している。よく頑張ってる。しかし、会話のキャッチボールが難しい。雑談は、もしかしたらとても難易度が高いことなのかもしれないと思うようになってきた。

 

 会話の受け手のターンになった場合、彼女は「うん」で終わってしまう。共感姿勢を全く示さない。「そうだんだ」「おもしろいね」「すごいね」「わたしも」は出ない。おそらく、今の彼女なら教えれば覚えるし、使うようにはなるだろう。しかし、これは教えることなのだろうかと迷う。彼女と話していて違和感を感じるのはここだ。今現在、発達の遅れがどれくらいあるかは不明だが、知性や精神年齢、知識のレベルがバラバラなんだと思う。そして、他人にそんなに興味ないタイプなんだと思う。自覚してるかはわからないが、苦手な会話で積極的にコミュニケーションを取ろうとも思ってなさそうだし、それゆえに会話スキルを上げたいとも思ってなさそうなのだ。そんな子に、会話のキャッチボールのためのツールを与えたところで、逆に苦手意識を植え付けそうで躊躇している。

 

娘「今日ね、ピアニカの時間にね、〇〇ちゃんがうしろからツンツンしてきたの。」

私「うん」

娘「それで、私はやめてって言ったのに、またツンツンしたの。」

私「そっかぁ、いややってんね。」

娘「うん、次またされたら先生に言いつけてやるの」

私「あ、うん、そうだね、しつこかったら言った方がいいかもね。」

娘「うん」

。(甘皮いじいじ)

。(終わり?)

 

 もしかして、私の会話スキルが低いのではないかと自信がなくなってくる。こどもの話は、遮らない、否定しない、共感するを意識しているのだが、いつもこんな感じになってしまう。グチなので盛り上がるものでもないし、笑いが起こるテーマでもないが、会話に展開が生まれることがない。まるでモテないやつの会話を再現しているような気分だ。もしかしたら私自身、無意識に会話には必ずオチがなければいけないと刷り込まれているのかもしれない。教室で一体どんな会話しているのか聞いてみたい。

 

 言葉の遅れには音読がいいよ、と小耳に挟んだ。だが、宿題以外でいきなり音読してごらんなさいはハードルが高いし、目標も設定しにくい。それになんとなく楽しそうじゃない。そこでとりあえず、読書の日を作ってみた。毎週この曜日は、夕食後寝るまでの時間、本を読むこととする。それと同時に毎週この曜日はゲームをしていいと設定して、カレンダーを貼り出した。決められたルールに忠実な彼女はそのルールを守ってくれている。読むのは字の少ない絵本や漫画だが、今までなかった習慣なので、本の形をしていればなんでも良しとしている。おかげで親の方もダラダラしていたのが、とりあえず買ったきり気が済んで読んでなかった本を引っ張り出して読むようになった。いいことだ。

 漫画の影響で「〜ですわよ」「〜ですの」とお上品な言葉を使うようになった。読書の日制定の効果はあるようだ。ちなみに読んでいる漫画は、女子大生が悪魔召喚した半身蛇半身人間の悪魔と共同生活するというものだ。まれにドロップキックなどのプロレス技が描かれていて知見が広がる。この夏の推薦図書には惜しくも漏れてしまったようだ。スプラッターなシーンも若干あるが、鬼滅の刃ほどではないのでご安心を。おかげで娘は敬語を使えるようになったので大変おすすめである。