ずっと息抜きが苦手だった。何をすれば息抜きになるのかをわかっていなかったせいだ。溜め込んで溜め込んでどうしようもなくなって突然仕事を休んだり、一日家にいたのに何一つ家事をしてなかったり、やけ食いしてしまったこともあった。それが最近、ようやくこれかもしれないというものを見つけた。全ての人の役には立たないかもしれないが、私と似たタイプのだれかの参考になればと思う。
・1人になる
無音の家で目を閉じる。ネカフェや図書館だと背後が気になって安心して目を閉じれないのだ。前世は侍かもしれない。嘘だ。気が小さいのだ。さらに、耳栓もしてただ目を閉じる。お口にチョコレートが紛れ込んでいると尚ご機嫌。
思い浮かんでくるものに意識を向けたり見過ごしたりする。メモがいるなら目の前のiPadさんに叩き込む。また目を閉じる。気になったらGoogle先生に聞く。目を閉じる。私はこれを脳内キャッシュのクリアとよんでいる。
・出す
あまり、大声を出すのは好きではない。カラオケ行って発散!もイマイチピンとこない。代わりに、こういう形で出している。ブログだ。日記やチラシの裏にでも書くとスッキリするよ!というのは、今まで色んなところで読んだり聞いたりしたが、その後それどないするねん。なんとなく隠してた感でるし、見られてもええのに、見た人がなんとなく罪悪感抱えてまうやん。紙に残して、後世に「昭和生まれのおばあの雑記」としてみられるのも同年代に申し訳ない。あぁ、ブログでええやん。最初からオープンやし、実家の押し入れ開けても見つからへんし、ゴミも増えない。素敵。
・捨てる
一時期、断捨離がもてはやされて、家にほぼ何にもない人がテレビなんかに映っていたが、あそこまではさすがに出来ない。しかし、まだ使えるからと言って渋っていたものは結構ある。全部いっぺんにやると心がポッキーなので、今月は衣類、とか今月は台所、とざっくり目標を立てて生活する。意識していると全然使ってないエリアやモノが見えてくる。そしてゴミの日にザザーと捨てる。それはもう思いきり。使えるものなら売れるよね?え?売れない?じゃあ捨てましょう。だって使ってないんだもの。と言って捨てる。罪悪感も一緒に捨てる。だって、ちゃんと分別してるんだもの。悪いことしてないんだもの。みつをなんだもの。
・写真
写真が好きだ。撮るのも編集するのも好きだ(上手とは言ってない)。おでかけ先で非日常な写真撮るのも良い。その瞬間は写真のことだけ考えている。脳内麻薬の生産を開始する音がする。日常のこどもや猫の写真も良い。切り取って加工して夫に送りつけるのも楽しい。たまに音つけておしゃれフォトアルバム風動画を作ったりもする。出来上がった時は感動だね。脳内麻薬ドバドバだよね。じぃじやばぁばに送りつけるよね。気付いたら夕方だからね。夕飯は手抜きになるけどね。
・お文具さんを眺める
それはもうご身体のように頭をまっしろにして空っぽにしてただ委ねる。理屈はわからないけど癒される。お文具さんがiPadにぶら下がって私を見つめるグッズがあればいいのに。めちゃ捗るのに。なもさん動画で何リットル心の汗をかいたことか…
・お酒
昔は、ひとりで呑んでなにが楽しいねんと思っていたし、呑みかたや加減もわかっていなかった。しかし、今、酔った状態でお笑い番組を観るのが楽しい。緩んだ前頭葉のおかげで漫才やコントの面白さが2倍増しで楽しめる。録画機能万歳。映画を観るのもいいのだが、トイレから戻った時に、なんでこいつこんなに血塗れやねん!?となってしまうことが多々あるので、飲酒時はあまり観ない。
・おしゃべり
ぐちを言うのも聞くのも得意ではないので段々人とお話しするのが嫌になって遠ざけていたのだが、最近ダンスを始めて、ママ友がいっぱいできてお話する機会が増えてきた。みんなめちゃ面白いのだ。ダテにだべってきてないねってくらい喋る。ちゃんとオチもある。キレッキレのツッコミも飛び交う。なんて恐ろしいおしゃべりスキルなんだ。こどもやダンスなど共通の話題があって取っ掛かりやすいというのもあるし、ダンスしようって集まってきた人たちだから考え方や行動も似通っててより話やすいんだと分析している(迷推理)。
私は無駄に完璧主義的で、余裕が無くなってくるとより顕著になる。そうなると手がつけられないので、事前に定期的にガス抜きをしなくてはならない。こまめにメンテナンス必須なわりにぎりぎりまでアラートが鳴らないのだ。まったく世話が焼ける。育児が下手と医者直々に太鼓判を押された私は、きっと生きるのも下手だろう。けど、下手なりに、もがけばたまにワラとか笑いとか掴めたりもする。適当にいきている人を真似て、適当上手に私はなりたい。