まるえのふんふん帳

子育てとカメラと時々キャンプ

2周目の宿題

 皆、菩薩な顔して聞いているのだろうか。私はどうしても般若になってしまう。

 

 娘の算数の宿題で、足し算の暗唱がある。暗唱といっても、1112…と式は書いてあり、答えを暗算で答えるのものだ。私にとって、これがなかなかの拷問、もとい苦行なのだ。なにせ遅い。まぁ遅い。とくかく遅い。足して5辺りまでの足し算はそこそこすんなりできるのだが、片手で表せない6以降の計算が鬼のように遅い。答えがわかってる自分目線からすれば何がわからないのかわからない。待っている時間はただ自分のイライラと闘っている時間だ。辛い。こっちは待っているのに、娘の気が散って遊び出すと発狂しそうになる。

 これはいけない。お互いただ辛いだけだ。面白くない。なので、彼女がどの辺で躓いているか探ってみた。といっても、私は教えるプロでもそんな経験もない。手探りも手探りだ。

 頭の中を直接見ることはできないので、紙に書き出してもらった。すると、学校で習ったのか、◯を書いて、数えていた。21なら、◯◯|◯と書いて、◯を123と数え、答えは3と答えるという具合。足し算の概念は概ね理解しているようだ。それに、実際に、えんぴつを持たせて解かせると大きい数字もそこそこすんなり答えが出てくる。このことから、数字のイメージの記憶がまだ弱く、思い出しながら計算するから鬼のように計算が遅いorできないということなのかもしれないという推測ができる(素人判断)。

 本来は、暗唱する宿題なのだが仕方ない。彼女にはまだ少し、高めのステップだったようだ。書いてスラスラ解けるようになってから暗唱できるようになればいい。というわけで、お手製足し算シートで只今絶賛訓練中だ。

 

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長い空欄は◯を書き込むスペース



 娘は主に言葉の遅れで発達障害と言われていて、34年生辺りから勉強についていけなくなる可能性があると何度か言われた。発達障害に詳しい人たちの言うことなんだから、きっとそうなる可能性が高いのだろう。その時に普通学級のまま通うか、一部授業だけ支援学級に行くか存分に悩みたいと思うが、正直最低限の知識(読み書き、計算)がついたなら、苦手なことにはそんなに注力しなくていいと私は考えている。そんなことより同じ地域に住み、同じ年代の子と、同じ時期に同じことをするという経験が大事だと考えている。夫には夫の考えもあるだろうし、なにより娘がどうしたいかはゆっくり聞き出しながら進路を決めていきたい。

プレゼントはまた今度

 遠足は、準備している時がいちばん楽しいのと同じように、祭りは構想段階がいちばん面白かった気がする。

 

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 先日の父の日に、おうちまつりを開催した。こどもと一緒に材料を買いに行き、飾りつけやのれんなどを作成したり、お父さんへのプレゼントを作ってもらったり。店員さん役やったり、くじ引きしたり、あっという間に終わってしまった。本物のお祭りにはしばらく行けなさそうだけれど、こどもたちもそこそこ楽しんでくれてたと思う。

 最後に、こどもたちから父の日プレゼントとして、似顔絵や定番の肩たたき券贈呈などを行い終演。はしゃいだせいか即就寝で助かった。家だと寝てしまったこどもを連れて帰るという肉体労働がないからいいね!そのまま布団へポーンや。私からは、これといったモノは用意しなかった。それもこれもとある芸人さんの炎上発言を聞いてたからだ。

 

 その方が言うには、俺が稼いだ金で、家族で使うお金からプレゼント貰っても、それ俺のお金やん?というもの。まぁ、聞く人が聞けば、炎上しそうだよね。いま私は自分自身で稼いでいない。夫の稼ぎで生活している。『家庭』を運営する上での分業と考えた時に、専業主婦に自由にできるお金、所謂お小遣いがあるのか否か、要るのか否かで話は変わってきそうだ。仮に、私が何かしらのモノをプレゼントするにしても、目玉が飛び出るほどのものは買わないし、夫もその場ではありがとうと言って受け取ってくれるだろうと思う。プレイステーションで使えるギフトカードとか、よっちゃんイカの詰め合わせとかそういうのを喜んでくれる。かわいいなぁ。しかし私は、プレゼントするならいつか自分で稼げた時にあげたいなぁと思う。僅かながらも社会復帰出来た気がするし、逆の立場なら同じようなこと思ってしまうかもしれないから。思いついたって口に出したりはしないけど。

 

 家事育児その他突発性不定期イベントの対処や家族の体調管理に宿題の付き添いなど、ひとつひとつはそんなに大変でもないし、怒られない評価もされない褒められないお礼も言われない給料もない、そんなちりも積もれば山となるよくばりセットを日々こなしているんだから、卑屈になる必要はない。昭和のサラリーマン家庭育ちが、令和のジェンダーレスが叫ばれる時代において、『家庭』に対する固定観念と現実とのギャップでもがいている。本当の平等ってなんだろう。きっといつの時代も大変だったとは思うけど、生活様式アイデンティティに関わる価値観が変わりつつある次期なんだろうなとは感じる。

 あんまりこんなことかいてると、「あなたも賛同してくださるんですね!」と目をギラギラさせて、人の話を聞かない、多様性を求めながら排他的な宇宙人に見つかりそうなので、退散しておこう。くわばらくわばら。

 

 

言語療法と娘

 年長の頃通っていた感覚統合療法は、ほぼ体を動かすもので、机での作業はほとんどなかった。娘には、手先の器用さよりも、先に体幹を鍛える方がより脳に刺激を与え、ことばの遅れの改善にも繋がるというお話だった。結果的に、娘にはこれで良かったと思う。本人は体を動かすことが好きだったからだ。短めのターザンロープやボールプール、ブランコなど、こどもの気を惹く遊具を使って指導してくれるところだったので一回も嫌がることなく通えた。ブランコや滑り台くらいは近所の公園にもあるが、遠心力を体感できる地球儀や高い位置から普段とは違う景色を見渡せるジャングルジム、落ちたら足がジーンとなってしばらく歩けないくらい高いうんていや鉄棒などの所謂殺人遊具はそうそう見かけない。こどもが危険性や自分の限界を知る機会は昔ほどないのかもしれない。というより、変わっていくのだろう。遊具にしたってここ数十年あったというだけでそれ以前のこどもがまったく遊ばなかったはずがない。今は、ボールで遊べる公園すら少ないけど、めんこやベーゴマ、ゴムとびでもすればいい。やりかた知らんけど。

 

 先週から、ようやく娘の言語療法が始まった。なんやかんやで半年ほど空きを待っていた。名前を呼ばれて、担当の先生とおしゃべりしながら個室へ向かう。先生の質問よりも通路に貼られた人気アニメのキャラクターが気になって返事になってない。先生が歩み寄って「このキャラクター好きなの?」と問うと「うん、すき」と答える。

 これでも以前に比べればまだ随分と成長している。以前なら、耳よりも目から入ってくる情報を無意識に優先して、ただ自分が言いたい時に言いたい事を言うだけだった。相手の言葉は耳に入ってすらなかった。そして、毎回思う。娘は発達障害なのだ。それでいろいろ遅れたりできないことがある。しかし、人の話聞いてない大人なんて結構いるぞ!特におじさん!聞いてきたくせに聞かず、聞いてもないのに言いたいこと言うという曲者だぞ!それに比べれば、よっぽど人の話に耳傾けれるようになったよ、えらいよ、娘!母は邪魔しないように見守ってるよ!など内心思ってるうちに、個室に着く。先生と娘は机に向かって座り、私は少し離れた席で見守る。基本的に私は先生に聞かれるまでは黙って見ているだけだ。先生がメモ用紙を取り出し、今日やることを書いていく。こうすると見通しがたって安心して集中できるそうだ。うちでもやろう。

 

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ひとつ終わるごとにはなまるを欲しがる。なんなら自分で書く。

 

 

先生「じゃあ先生がいろいろ聞いていくね。まるかちゃんは、どこの小学校に行っていますか?」

娘「一年一組」

先生「うーん、なに小学校かな?」

娘「一年一組」

そう、娘は小学校名を覚えていない。そりゃそうだ。なかなか言う機会ないし。

先生「じゃあ担任の先生の名前はなんですか?」

娘「◯◯先生」

入学して一番に覚えさせたのが担任の先生の名前だった。困ったら◯◯先生に聞きなさい、と具体的な指示の方が彼女は動きやすいからだ。

先生「お友達の名前教えてくれる?」

娘「うん、たろうくんとはなこちゃんと

私が知らないおともだちの名前も覚えてる!すごい!年長の頃は同じバス停の子の名前しか覚えてなかったのに!それも何回も繰り返し教えた結果だったのに!今夜はお赤飯や!()

先生「学校は楽しい?」

娘「うん」

なら良かった。毎日、学校から帰ってきて、今日学校でなにしたの?と聞いてみても「給食食べたor給食当番した」くらいしか返ってきたことがない。おそらく言葉にしやすいことを教えてくれてるんだと思う。授業でしたことを簡潔に説明するのはそう易しいことではないのだろう。そして関心度がもっとも高いのが給食なんでしょう。さすが我が娘。楽しんで通ってくれるなら何よりだ。

 次は、カードを使ったクイズ。カードには動物や食べ物などが一つずつ描かれている。娘の前に4つほど並べる。「鼻の長いどうぶつはどれ?」「赤くて甘いくだものはどれ?」などの質問を投げかけカードを取らせる。続けて、カードは片付けて、同じような質問をし、口頭で答える。これくらいなら家でもできそうだが、質問を考える方が大変そうだ。

 おおむね正解し、つぎに、おうむ返し。4桁の数字から始まり、短い文章、長めの文章をおうむ返しする。娘は助詞の使い方が苦手で、長文になるほど、それが顕著になった。

 最後に部屋を変えて、トランポリンや滑り台などで遊んで(?)終了。娘は遊びたりなかったようだが、次回のお楽しみということでなんとか納得してくれた。

 ひとつひとつはそう難しくないし、家でも真似してできそうなこともあるが、大きく違うのは邪魔や誘惑がないというところだ。家にいるとおもちゃやテレビなどがどうしても目に入る。机まわりだけでも片付けて排除しても弟が騒いでくる。年少の息子が1時間も静かにするなんて寝ている時以外ありえない。そして彼女は耳から入ってくる情報に敏感だ。人の質問が耳に入らないのに矛盾しているようだが、シングルタスクで且つ集中力がないと考えればある程度合点がいく。娘がひらがなの宿題をしている時はおそらくそんなにメモリを使っていないのだ。構ってもらえなくてスネた息子が小声で悪口を言ってもしっかり聞こえてプンプンする。最近はそんな状況に負けないように、試しにひらがなを読みながら書くようにしてもらっている。これで彼女のメモリは声に出して読む・書くのタスクでいっぱいになり雑音に邪魔されにくくなった。そして、息子には紙と鉛筆を与え自由におえかきできるようにした。かの有名な王蟲のような顔付きのあんぱんまんをいっぱい描いてくれる。しばらくはこれで様子見だ。

 私の母の言っていた「子育てはだんだん楽になってくる」という言葉を信じてここまでやってきたが、今は懐疑的だ。手間の内容が変わっただけで楽になってるかしら??するとまた脳内母が「子育ては楽しんだもの勝ちよ」と言ってくる。誤魔化してない?もしかして、私まだ、子育てされてるんじゃなかろうか。