まるえのふんふん帳

子育てとカメラと時々キャンプ

2匹でも多いよね

 個人面談の時、「おそらく3段階評価でc(一番下)になると思われます。やはり、聞いて理解するとか、文章を読み取ることが苦手なようで」と先生。アホやからあきませんわぁなんて言えないこのご時世、めちゃめちゃ言葉選びながら娘の現状を教えてくれた。私は苦手なことはそこまで無理しなくてもいいという考えなのだが、いかんせん国語だけは全ての教科の基本だし、何より自立して生きていくためにはどうしても駆使しなくていはいけない道具でもある。言葉を理解した上で我を通すのと全く理解できずに聞き流すのとでは、その後の選択肢がまるで違ってくる。今のうちにいっぱい試していっぱい失敗して学べばいい。授業で扱う文章はおそらく彼女からすると12ステップ上のレベルだろうから幼稚園児向けの易しいなぞなぞあそびでもやってみようかと思う。そう思っていた矢先にあるテストが返ってきた。

 

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きんぎょとメダカっていっしょにいれてよかったっけ

 意味がわかる文章じゃん!空欄にせずにどうにか埋めようと苦心した結果それっぽいもの入れて文章つくってる!もう今の娘レベルなら100点の回答だよ。

カフェデビューしたい!

 所謂、文豪さんとか執筆家さんが有名になる前に、どこそこの喫茶店のいつものあの席でいつものアレを飲みながら静かに書いてらっしゃいましたねぇ、というあれ!めちゃめちゃ憧れるのだ。そして、自分も振り返って、いやぁあの頃はナニナニでね、とか回想したいのだ!いつか!そのためには、そういうことを許容してくれる喫茶店&マスターを見つけなくてはならないのだが、たいていの方は、なんとなく入ったとか、帰り道にあったとか、全くアテにならない選別基準しか残してくれていないのだ。ズルい。

 昨今は、カフェ勉禁止とか混雑時は最大時間までとか、世知辛いのだ。もちろんそうなる理由も理解はできる。なので、店頭にはっきり告知してくれているのならそれにもちろん従う。しかし、勇気を出して席に着いたのにも関わらず、のちのち「お客さま、ちょっと〜」なんて言われた日にゃ、顔真っ赤にしてそそくさと退店するしかないのだ。そして、もうその店には二度と行けなくなる。豆腐メンタルなのだ。スンドゥブ大好き。

 また、カフェならなんでもいいわけではない。席の配置も大事にしたい。いつも不思議に思うのだが、みんな背中ガラ空きだけと平気なの???確かに、辻斬りはもういないだろうけどさ、お店の全体とまではいかなくてもせめて、出入り口を見張れる位置で且つ背中側は壁といった条件でないと不安じゃない?くのいちじゃないよ?背中が通路側だと、通る人にタブレット画面丸見えじゃん。「(こいつ、真面目な顔して猫画像ばっか漁ってんな)」とか「(めちゃめちゃ手動いてると思ったらゲームかよ)」とか。ああ、私こんなところでこんな破廉恥なモノ見ちゃってるぅって快感得られるタイプではないので、せめて端っこに座りたい。

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ぐへへ…

 そして(まだあるんかい)、なんでも形から入りたい性分なので、タブレットを持ち歩くためのケースもほしい。直接鞄に放り込むのは忍びない。基本的に自転車移動なので、衝撃を与えないかと不安になるし、カバンの中は、バッグインバッグやポーチで整理していたいタチなのだ。定位置管理してないとだんだん精神が不安定になってくるようだ。最近、気付きました。ただ、これが結構なお値段するのだ。そうなると安いものを見つけても、耐久性大丈夫?すぐにファスナー壊れない?などと余計な心配が溢れてきて妥協点がだんだん霞んでくる。そして無職の分際で使い続けるかわからないものに大金使うわけにもいかないああもうタオルで巻けばいっか。あったかいし(?)

 もうお気付きですね、そう、まだ一歩も外に出ていません。あたまでっかちが功を奏してまだおうちです。静かで、好きなだけチョコつまみながらコーヒー飲めて、どんなサイトだって背後を気にせず見放題です。最高です。いつでもおうちで集中して作業ができるならそれに越したことはありません。それが凡才な私にはむずかしいのです。it'sラクルです。人の集中力を高める催眠術を使いこなせるマスターがおうちにいればいいのになぁ。気が散るなぁ。

授業参観

 こどもの成長や学校での生活を見れるいい機会である授業参観に毎回思うのは、『ウロチョロせずに、ちゃんと座ってるじゃん、えらい!』だ。支援学級と普通級のどちらにしようか迷うレベルの娘が、静かに先生の話を聞いて、手をあげて、答えようとしているのだ。自分の目で見ないと信じられないような成長ぶりだ。かつて、自分の作業が終わると日向ぼっこしちゃってた園児の頃からは全く想像できない。5年後も10年後もさっぱり想像つかないけど、好きなことやっていてほしいと願うばかり。

 しかし、学校もハイテク化してきているなと感心した。全ての教室にプロジェクターがついているのだ。もうそれだけでもすごいのに、黒板の端に設置されたカメラで先生の手元のプリントが読み取られ、プロジェクターで黒板にデカデカと表示されるのだ。めちゃ便利。しかも写し出されたそのデカデカプリントに専用のペンで文字まで書けるのだ!黒板でも元のプリントでもなく、映し出された映像に書き込んでいるのだ!もはや、ドラえもんの秘密道具じゃん!当然、プロジェクターをオフにすれば、書いた文字ごと消えるのだ。なんだよ、その技術。チョークの粉にむせていたあの頃が懐かしい。

 私が通っていた頃はせいぜい視聴覚室に一台プロジェクターがある程度で、緑のほこりっぽいカーテンをひっぱって部屋を薄暗くして、先生ががんばって書いた半透明のペラペラしたやつを、天井から引っ張ってきた白いスクリーンに写していた。それも、なかなかうまく写せなくてあれぇ?あれぇ?と先生が四苦八苦して、ほかの先生を呼びに行ってなんとか見れるようになる、までがセットだ。そして何を見たかは覚えていない。薄暗い空間で受ける授業に非日常性を感じてワクワクするだけの時間だ。ステキだね。私自身、何度か転校しているので、全く同じ記憶を共有できる人はいないのだが、同じ年代のママ友と話していて、「それあったねー」と言われて嬉しかった。

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やっと写ってもスクリーンからズレてて机をガタガタ動かして調整するおまけ付き

 学校いかないユーチュウーバーさんがいらっしゃるが、自分の子には、やはり学校には行ってほしい。同世代の子たちと同じ空間でいっしょにその時代を歩んでほしい。それを安全に経験できるのが学校だと思っている。勉強は確かに学校以外でいくらでも補えるけど、経験はどんなに大金つぎこんでも得られない。先人が残した言葉から学んで自分に活かすには、行動し経験を積むほかないと思う。どなたかが、先のユーチューバーさんについて、社会実験を見てるようだとおっしゃっていたが、私は学校に行かないことが失敗だとか不正解だとも思わない。Youtubeで生計立てていくのもひとつの生き方だし、うまくいっているならそれでいいだろう。そうじゃなくなった時に、どう動くかを自分で見出せる人になる為に学校で様々な経験をしてきてほしい。それを帰ってきたら聞かせてほしい。家庭でできることってそれくらいだと思う。